こんにちは!
タイトルの通りです。
今月でオーストラリアにやってきて5年が経ちました。
自分でも驚きです。
こんな長い間(何なら今後永住)オーストラリアに住むことになるとは5年前の私は全く思ってなかったと思う。
ってことで今日は振り返り👏
(長いし自分への覚え書きみたいな感じだからこの記事は読まなくてもいいよ笑)
2017年の3月に5年勤めた病院を退職。
看護師の仕事や環境が良かったこともあって、まだ続けたいという気持ちと、夜勤やリーダーなどの大変な業務から一旦離れて自分のもう一つの夢に向かいたいという気持ちだった。
看護師はいつになってもまた再開できるという友達や知り合いの言葉と、自分のどうしてもワーホリに行きたいという気持ちが強かったこと、後輩が先に自分の憧れの海外にワーホリで行ったこととか、とにかく思うことがあってからの決意。
もちろん両親からの反対や、職場の人からよく思われてなかったところもあっただろうし、相談する人によっては「安定な生活があるのに行く意味ある?」とか「なんの為に?」「そんなに甘くない」って言う人もいたけど、そんなの関係ないくらい自分の気持ちを押し切った笑
(ま、結局自分の人生だからね。反対した人らの言うこと聞いて後悔しても反対した人らは私の人生の責任取ってくれないから。)
結論は行って良かった!
ってか多分もし行ってうまくいかなくても自分の選んだことだから後悔はしてなかったと思う。
【海外生活1年目 ワーホリ1年目】
現地についてからはワクワクと学びとちょっとの大変、辛いな気持ちが入り乱れまくりだった笑
英語は趣味で英会話を習ってたのもあって「英語」と言うものに恐怖心はなかった。
でもほとんど喋れん、もしくはBroken English だった笑
「Can I have 〜?」の使い方もしらんくてメニュー指して「I want to this !」だけで乗り切る日々笑
レジで英語を話して注文するのが怖くて当分タッチパネルで注文できるマックにしか行ってなくて心の中で「私外食する時はここにいる限り一生マックしか食べれんのだな」って思ってた笑
語学学校は1ヶ月✏️
友達を作っていろんな情報を得る為に。(理由が斬新)
初日のクラス分けテスト。
英語に慣れてると言うこともあってほぼ喋れないのに普段より無駄に良い成績を取ってintermidiate クラスに。
自分にあったクラスに入ってなかったことで授業についていけず、学校に行きたくなくなる。
まじで苦痛すぎた。朝の通学途中に友達に「行きたくないけサボろうかな」ってメールしたり、授業についていかれんくて1日だけホームシックになった。(結局サボらず頑張った)
クラスの友達は優しいし、これから授業で何をするかとか教えてくれるけど、英語で説明されるからそれも理解できんくて惨めな気持ちと申し訳ない気持ちだった。
学校のあとにクラスのみんなでご飯食べに行ってクラスメイトが励ましてくれた。
けど結局先生からも「1個下のクラス行った方がいい」ってアドバイスされてクラス替え。
pre-intermidiate のクラスへ。
結果すごく良かった!
先生優しいし、授業もわかりやすかった。
語学学校卒業して語学学校の友達から紹介して貰ったファーム。
VIC州からQLD州に飛ぶ✈️
4ヶ月くらい滞在。
そこで知り合った台湾のチームメイト全員がいい人すぎた!
何ならファームのオーナーもいい人すぎた!
当たりだった!!!!
しかしQLDの言語の訛りはオージーすぎて、ただでさえ分からんのにもっと理解できんかった。もはや分からなすぎて笑えた😹
ファームの後は世界旅行と一時帰国✈️
ブリスベン→ゴールドコースト→マレーシア→タイ→日本→韓国→メルボルン。
ファームで稼いだお金を全て使って「これがワーホリだ!」って思った。
【海外生活半年経過】
メルボルンに戻ってきて家探し。
ネットでたくさん調べるけど、まず家賃の相場も分からん、英語も分からん。
たまたま知り合ったメルボルン大学の中国人学生に中国のサイトで家探して貰って内見行って家見つかる。
仕事探し。
英語できないので日本語サイトから仕事を探す。
初めての履歴書作り、応募。連絡どこからもこない。
レジュメを配り歩くのは勇気がなくて断念。
とりあえずRSA(お酒の取り扱い免許)取った方が仕事見つかりやすいかなーでRSA受講。
講義の英語全く分からない←
隣の席のインド人に助けて貰って何とか免許取得。
無謀すぎ。
結局なんやかんやあってRSA必要ない、英語力もほぼ必要ない職場へ。
オープニングスタッフだったこともあって全員同期でみんな仲良し。
とにかく力合わせて頑張ろう!みたいな感じで楽しかった。
その間に掛け持ちでRSA必要な仕事を夜してみたり、元旦早々中国人のハウスオーナーの不手際で家を出ることになり、新しく提供して貰った家が1週間停電で困ったり、海遊びに行った次の日に40度の熱が出て動けんなったりとあったけど・・・
ここでワーホリ1年目が終了。
【海外生活、ワーホリ2年目】
バイト始めて半年後に正社員のお誘い。
給料いいし(理由それだけ)承諾。
けどもやってくる責任。お店に誰か来た時「責任者いますか?」でスタッフから呼び出されても相手の言ってること不明。(英語だから)
責任者のくせに自分よりも海外滞在歴の長いバイトスタッフに通訳をお願いして何とかやり過ごす。(また惨めな気持ちになる笑)
でも1年目の頃より英語は聞けれるようになってたし、レジでの接客は決まり文句言うだけだから余裕だった。
(当時レジトレーニングしてくれてたカナディアンの人はお客さんの服装や持ち物を褒めたりしてスモールトークもした方がいいと言ってたけど全然無理だった)
あと道歩いてたらすれ違った人が話してる言葉を無意識に聞けれるようになってた。
ちなみにマックの生活はとっくに終わり、フードコートで注文ができるようになった。
けど注文はできてもその後聞かれる「Have here ? or take away ?」はまだ聞き取れず「????.... Yes!!!」で店員を毎度困らせてた。
(後に周りのお客さんの会話を聞いて学んで受け答えできるようになった)
【海外生活、ワーホリ2年4ヶ月目】
日本人の友達とよく行く韓国料理屋でディナー。
「私らのビザ、残り半年よ。今後どうするよ、日本帰るか、あと1年延ばすか」とか
「そろそろ出会い欲しいね〜、このあと夜遅くまでやってるカフェ行って出会い探そ」とか
だんだん生活が夢の世界からリアルの話になって来てた。
そんな話してたら通路挟んで隣の席のウエスタン系の男女グループの内の一人がやたら私らを見てきてた。
お会計しようと思って立ち上がった時に、声かけられた。
それが今の私のパートナーーーーーー!!!😹
まだ私は英語がほとんどできなかったけど、当時流行ってたポケモンGOの話で盛り上がり、Facebook交換してその日は終わり。
そこから何度かデート誘われたりして気付いたら付き合ってた。
(告白文化ないので告白なくて戸惑ったりもしたなー)
【海外生活、ワーホリ2年半目】
ワーホリの人は法律で同じ職場に半年しか入れないルールがあるので1年勤めた(店舗をかえれば1年いれる)職場を退職。
この時は既に社員の窮屈さから辞めれて嬉しいしかなかった笑
けど残り半年のビザで新しい仕事を見つけるのはなかなかハードだった。
そんな時に同時に家も失った。
(理由は割愛。ま、ワーホリってほんま日本じゃ考えられんことが頻繁に起きるんよ)
同時に家も仕事も失って絶望の中、家族に電話。
「もう帰ってこい」と言われるも残り半年のワーホリ生活をエンジョイしたかったし、突然の帰国はまだ現実に戻りたくない気持ちも・・・。何より彼氏できたばっかなのに!
ってことでもう少し頑張ることに。
そしたら彼が「新しい家見つかるまで実家にいていいよ」って。
彼のお母さんにも話してくれてて、家が見つかるまで居候。
(付き合ってから毎週実家に遊びに行ってたから母との関係は良好)
けど性格上居候ニートは申し訳なくて、1ヶ月くらいで友達の家を紹介して貰って新しいシェアハウスへ。
同時に仕事も見つかったので仕事も開始。
この時入職早々に結構な仕事を抜擢されてマネージャー候補として育てあげられる。
半年後ワーホリのセカンドビザ終了。
せっかくまた軌道に乗ってきたし、彼氏もいるしで延長を決意。
ワーホリは無理なので学生ビザへ。
【海外生活3年目、学生ビザ1年目】
マネージャー不在時は代理としてバリバリ働いてた。
接客や英語の使い方もだいぶできるようになって来て電話対応も少しずつできるようになってた。
ここの職場はお客さんがほぼローカルだったから自然と英語力が鍛えられてた。あと自分の彼氏もオージーってのもあって。
割と3年目は日常会話ができるようになってた。
この時行ってた学校も1年目の頃に比べたら見違えるように授業が理解できた。(先生がよかったってのもあると思うけど)
学校行ってたから学校の日は仕事休みにしてめちゃくちゃゆったりした生活してて楽しかった。
【海外生活3年半目 】
コロナ!!!!!あと学生ビザの後、日本に帰るかどうかを考えた。
正直意味もなく学生ビザを延ばしたくなかったから、学生としてのビザを申請しないことを彼に伝え、今後のことを彼と話し合った。
そして出た結論はパートナービザを申請しょう!だった。
そして今回は彼の実家に本引っ越し。(また度重なるシェアハウス問題の為)
【海外生活4年目、パートナービザ申請1年目】
コロナ!!!!ロックダウン!!!!!ロックダウンが終わるまで仕事もなし。
政府からは「ワーホリや学生の人で金銭面に余裕がない人は直ちに帰国した方がいい」とお達しが出る。
初回のロックダウンはすぐ終わると誰もが思ってたから仕事もすぐに始まると思っていたのに現実はそうじゃなかった。
この時ちょうどパートナービザを申請したばかり。
高いビザ代とこの国で永遠にパートナーと暮らすことを誓ったばかり。
今本帰国してしまうとビザは取り消されるし、コロナでまたいつ彼に会えるかも分からないし、でも仕事がないと収入がないしで貯金を切り崩して生活。
両親からは帰国しろと言われたけど、「コロナのせいで自分の夢や希望がなくなるは嫌だ!この国でまだやりたいことがたくさんある」とくそ駄々こねて拒否。
私はまだ外国人扱いなので政府からの援助も貰えずかなり無謀な1年を過ごした。
途中からは貯金も尽きて彼に助けて貰った。
少しでも稼げるようにクラウドワークスで日本の在宅の仕事を見つけてパソコンで1年間仕事をした。
ロックダウン中全員が家にいたこともあり、彼とお母さんの喧嘩が頻繁になる😱
【海外生活4年半目】
仕事が少しずつ再開。この時に正式にマネージャーとして推薦される。
コロナのせいで色々なところに影響が出てしまい、新オーナーと新たに店を盛り上げることに。マネージャーとしての仕事をこなしていった。
ロックダウン中にオージー家族とずっといたから、なぜか英語力が上がってた!のを実感。
自分の英語力に自信がつき、接客中にお客さんと積極的に話すことが増えて、顔を覚えてもらえることが増えたり、ネイティブスタッフのようにお客さんの持ち物を褒めてスモールトークに持っていくことも余裕でできるようになってた。
【海外生活5年目、パートナービザ1年目】
コロナによるロックダウンと解除の繰り返し。仕事がない日が多かったけど、この年は政府からの補助が出たのでロックダウンも大丈夫でした!
そしてついに二人で家を借りて引っ越し。初めての2人と犬1匹暮らし。
仕事の方は絶不調。オーナーとうまくいかない(現場の話を聞いてもらえず理想ばかり話される)自分の性格上みんなに優しすぎて、多国籍のスタッフをまとめるのが難しい、などなど。
客観的に見たら1年目の頃のマックでタッチパネルに比べると多国籍のいる店のマネージャーにまでなれたのは成長したなって感じたけど、マネージャーとしての素質はなかった。
まだこの立ち位置になるのはほんの少し早かったかもとも思った。。。
とにかくストレスで色々と考えた結果退職。
【そして今】
最近マイホームを手に入れ、お犬と彼で暮らし、彼とも英語でめちゃくちゃ喧嘩できる程成長しました👏
こんなこと5年前の自分からは本当に想像できなかった!!
今後は自分の将来のために学校に行きたいからお金を貯めております。
まだまだ自分のレベルを上げたい!!!
とにかく海外での生活は自分で動く力と運などが必要だけど、その分自由なので最高!
まだまだこれから先もどうなるか分からないけど、とりあえず海外生活頑張ります✊